24才くらいの頃、百聞は一見に如かずということで海外のリハビリボランティアに参加しました。
今回は、そこで出会った16歳のスニルくん(仮名)とのリハビリについてお話します。
ちなみにJICA(青年海外協力隊)ではありません。
手当は出ないし完全に自費です。
なぜか。単純に自分には手当をもらうほどの価値はないと思ったからです。
あやふやですが、JICAって帰ってくるとそこそこ貯金貯まってるんですよね。それを仮に200万円と考えると、
「俺が行くより、現地に200万円寄付した方が有用じゃん」って考えていました。
なので、当時は自費で行くことを決めたわけです。これなら誰に文句を言われる筋合いもなくなります(誰も言わないけど😁)
ネパールについて
正式にはネパール連邦民主共和国といいます。
中国とインドの間にある国で、ヒマラヤ山脈が有名ですね。
当時は電気供給も1日に数時間とインフラも十分に整っていませんでした。(2021年2月現在は徐々にインフラ問題が改善に向かっています。ネパール人の友達が教えてくれました。)
人柄は優しい人が多いイメージで、街中で困っても通りすがりの人が嫌な顔せず助けてくれました。道案内をしてもらう時もお金を要求されたりしたことはありません。(某国は何かあるたびに要求されました。)
子供の施設
私の勤務地は首都から少し離れた地区にある子供のデイケアセンター。業務形態としては療育センターに近い感じですね。
脳性麻痺の子や日本では珍しいポリオに罹患している子がいました。
ただ、十分にカルテ整理されているわけではないので詳細な医学的情報はありません。個々の身体をしっかり評価し、プログラムを立てていく流れで理学療法を行います。
異国のリハビリ
日本には存在しない制度であるPT補助(正式名称はわかりません💦)
何かというと、「PTの指示のもと、理学療法を実施する方々」です。確か半年ほどの研修を受けることで従事できるらしいです。
どうしてこんな制度があるのか。
要はPTが圧倒的に不足しています。私の勤務地も補助の方が2名いるだけでPTは「0」でした。
当時の話ですが、ネパールではPTの大学が首都に1校のみ。しかも多くはインドの大学に通いインドで就職してしまうそうです。現地で知り合った大学生の子から聞いた話なので真意の程はわかりませんが、とにかく首都を離れるとPTに会う機会が激減したのを覚えています。
驚きの連続
こういった環境ですが、そこで出会ったのがスニルくん(16才)です。
彼は手足の緊張が非常に高く、出会った頃は関節がだいぶ固まっていました。
飲み込みが苦手な彼ですが、食事はどうしていたと思いますか?
なんと、普通のパンと普通の牛乳を混ぜて口に押し込むっていう…
当然むちゃくちゃムセます。咳しまくりです。でも関係ないです。手で口を塞いで無理やり押し込んでました。
「あ、これがカルチャーショックか」
って感じながら思考停止したのを覚えてます。
(同日に合流したフランス人のSTスタッフにより食事指導が行われたのでご安心ください😊)
もう1つは排痰です。
スタッフ二人がかりで無造作にバランスボールに乗っけます。
本人はきっと恐怖を感じたんでしょう。筋肉の緊張が最高潮となり、
エビ反り状態です。
どうしてこの方法が選択されたんだろって思いますよね。
答えは彼のカルテにありました。
リハビリ記録を見ると、オーストラリアのPTによってこの方法が指導されていました。
ただ、記録ではおよそ12年前。
スニルくん4才くらいです。
記録を見る限り、当時のスニルくんは今ほど筋肉の緊張も高くなかったようです。
これ、個人的にむちゃくちゃ怖いなって思いました。
子供たちの状態は年齢と共にどんどん変わります。でも評価がすっぽ抜けている。プログラムの再考がなされないので、合わなくなってもそのまま実施が続けられる。
特に期間限定の介入って、ただ方法論を振り回せばいいものではないんですよね。
将来的に起こりうることや対策まで含めて伝える必要があります。
本当に勉強になった出来事です。
次回はどんな取り組みを行ったのかについてお話します。
②へ続く